• ~旅と日々の出会い~

一幕 玉造温泉の巻

22時、東京駅発『寝台特急 サンライズ出雲』は、翌朝の6時、岡山駅で四国に向かう『サンライズ瀬戸』を切り離すと山間を縫って走る伯備線にはいる。いよいよ山陰路の始まりだ。

切り離しの振動で目覚め洗面所に向かう。すこし寝不足なのは、ノビノビ座席の女の子たちのひそひそ話で何度か目が覚めたから。気持は分かる。旅の思い出は、みんなで興奮と感動を共有することだから。その共感が旅をした共通の思い出として永く心に保存される。ひとり旅でも共有は出来る。風に、光に、空に、木々に、そして出会いというときめきに。なによりも私のなかのもうひとりの心と。

1、出雲大社参拝

『サンライズ出雲』を出雲市駅で下車し、バスで『出雲大社』に向かう。旅の始まりの報告とここに来れたお礼を伝えるために。

二つ目の大鳥居の前で一礼し、左端を進む。鳥居をくぐると本殿に向けて下りのゆるやかな坂道がつづく。気づかない人もいる。そこがいい。帰りに、おやっと思う。来る時より歩くのが辛くないかと、そこで上り坂に気がつく。上り切り鳥居の前に立つと、町や山を一望できる。苦労は報われる。そのための坂だと感謝する。出雲大社の神々の思いやりだと思う。

初めて来た二十代の頃は気がつかなかった。その時は、いっぱいお願い事もした。「素敵な彼に会えますように」、「結婚できますように」、「仕事がうまくいきますように」、「給与が上がりますように」、「健康でありますように」。それからいろいろな経験をし、辛いことも味わい学んだ。二回目からはお礼をすることにした。今あるのは神様のおかげ、これからは自分の努力、見守ってくださいと。でも今回は、もう三十路の真ん中だから、少しだけ、良い人に会えるチャンスを下さいと最後にお願いした。御神籤は『中吉』。

初夏の木漏れ陽が参道に蔭の網をかけている。家族ずれの参拝者、グループの旅行者、そしてカップルに、みん等しく出雲の陽が当たり、稲佐の浜の微かな潮の香りを含んだ風が頬をなでてくれる。光や風の流れを求めるように立ち止まる人も、脇へと逸れる人もいる。なかよく手を繋ぐカップルもいる。歩みの遅い連れ合いの手を引く老人もいる。

ここには二つの時(とき)が過ぎていく。みんなに等しく過ぎていく「時(とき)」と、その人にあった緩やかな「時(とき)」がある。そんなふたつの「時」が織りなす世界をみんなは歩んでいる。

列島に暮らす人々は、鎮守の森や八百万の神との関りを大自然の歩みと同じ、ゆるやかな時(とき)で捉えてきた。それが自ずと歩みを緩やかにする。それに鳥居から本殿までに植えられた樹齢何百年の松の木の間隔が、穏やかな歩みを乱すことのないリズムの節となっている。

でも人の世は悪戯だ。ふとした心の迷いや苛立ちに歩みのリズムが乱れてしまう。乱れた歩みは心を乱す。視界に入る景色も乱れ始める。

前を歩くカップルがいて、後ろに子供を真ん中に手を繋ぐ若い夫婦がいて、その後に十人ほどの中年の男の人グループがつづく。トンボを追って若夫婦が子供と池の方へと外れると、甲高い話し声と変な笑い声が背中に張り付いた。

ひとの流れも、周りの雰囲気も何も変わってはいない。変わったのは男たちの声が直接届いただけ。それなのに歩みが乱れ神経が過敏となる。要らぬ妄想をする。お尻が見られている気分。噂話もしている。そして妄想は小さくなって心に住みついた。男たちはずっと変わらぬ歩みと話題で鳥居へ向かっている。

鳥居で振り向き、男の人たちの影を避けてから深々とお辞儀した。言葉もないお辞儀。男の人たちも話をやめ、バラバラだがお辞儀する。小さな子が真似てお辞儀をする。一陣の風が吹き抜けた。ほんの少しスカートが広がった。

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