• ~旅と日々の出会い~

2、玉造温泉の湯

稲佐の浜の打ち寄せるさざ波にスカートの裾を濡らした。それでも心地好い。女の子同士の華やいだ笑いとは違い女一人の波との寡黙な戯れは、どんなふうに映ったのだろうか。

ここにアマテラスの三番目の使者であるタケミカヅチが高天ヶ原から降り立ち、オオクニヌシに出雲の国を譲れと迫ったのだ。大岩を撮影し、砂のついたままの足で靴を履いた。

バスでJR出雲市駅に出、山陰本線で玉造温泉に向かう。駅から旅館までは、ちょっと奮発してタクシーを使った。一人旅にはもったいないほどの立派な老舗旅館。日本庭園のランキングにも名を連ねる立派な庭をしばらく眺めていると、「よお、おいでました」と老人が横切った。浴衣姿から思うに地元の宿泊客だ。

玉造温泉は、オオクニヌシとともに出雲国(葦原の中つ国)の国造りをしたスクナビコナが見つけたと『出雲国風土記』にも記載されている。泉質は、ナトリウム・カルシウム・硫酸塩・塩化物泉で、塩酸イオンがお肌に水分を与え、お肌にハリと潤いを与え美肌効果がある。一言でいえば、美人の湯、それとも美肌の湯。玉湯川を挟んで二十軒ほど温泉旅館とお土産屋とお店が並んでいる。

広い湯舟、溢れるお湯、檜の穏やかな香り、大きな窓の向こうに明るい日差しと眩い木々の葉が広がっている。肌に染み入るような心地よさに、お湯の中で足を延ばし、手を支えにして大の字に開いて浮いた。すこし太ったかもしれない。横腹の肉が掴めた。お尻と太腿の肉も柔らかくなった感じだ。「むっちりか」と口にした。木の枝に見慣れぬ鳥が止まっている。

露天風呂に繋がる扉の方から賑やかな女の子の声がお風呂場に反響した。女の子たちに会釈して露天風呂に向かう。明.い空と木々の青葉が温泉の波紋に浮沈む。おばあちゃんが、「なんまんだぶ」とか「なみあみだぶつ」とつぶやきながら浸かる気持ちが分かる。お腹から「フー」っと息を吹き出して目を閉じた。体育座りの膝を伸ばし、肩までつかる。柔らかな湯あたり。頬の火照りを温泉の湯と昼の風が撫でてくれる。

目を閉じて、深呼吸を繰り返す。風の音がする。陽の薫りを感じた。心だけが、風と光の穴を抜けていく。護岸工事もされない川岸に、草木とともに月見草の黄色い花が列をつくって咲いている。前かがみに進む下駄の忙しない音がする。三味線の音色も聞こえる。やがて、川に沢山の蛍が弧を描いて舞いだした。遠くで誰かを呼ぶ声がする。川の流れが聞こえてきた。あ、遠くで誰かが泣いている。

3、玉造の町

鳥のさえずりに目を開けた。古(いにしえ)の世界を彷徨っていた感じが肌に残っている。男の人と手を繋ぎ、空を蝶のように舞っていた。茅葺の小屋が並ぶ温泉集落。いつの頃かしら、古い時代のもと古い頃、そうだ、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が退治されたと誰かが叫んでいた。

仲居さんの薦めで、夕食までの間、川沿いの通りを散歩することにした。露天風呂で見た幻に出会うかもしれない。旅って、そんな非現実的なことがあるから楽しい。とくに『神々の国』島根だから期待できそう。

案内に従って『玉作湯神社』に行く。勾玉作りの神様クシアカルダマノミコト、そして、この温泉を発見した国造りと温泉の神様オオナモチノとスクナビコナの三神が祀られている。境内の「真玉」(まだま)に触れると願い事がかなうと伝えられ、社務所で「叶い石」を授けて頂き、この「願い石」にくっつけてパワーを頂き、お守りにする。神社前に架かる赤い欄干の宮橋もインスタ映えする人気のスポットで、浴衣姿のグループやカップルが満面の笑顔で写真を撮っていた。

次は『湯閼伽(ゆあか)の井戸』に寄る。良いことがありますよと仲居さんに念まで押された。湯閼伽の井戸は別名「恋来井戸」とも言うらしい。「恋(こい)叶いの素」という鯉(こい)の餌を井戸から投げると恋(鯉)が現れる、そんなことから付いた名前で、この関係で宮橋のことを「恋叶い橋」とも言う。老夫婦のお爺さんが「わしにも、こいが来るかな」と餌を撒くと、こいが来た。仲居さんと同じような笑顔でお婆さんはお爺さんを眺め言った、「よございましたね」。お爺さんと目が合った。照れくさそうにお婆さんの手を解いた。

この川底に湯元があり、昔は露天風呂もあった。露天風呂で見た幻は、この川の湯元の露天風呂だったのだろう。八岐大蛇を退治した素戔嗚尊(スサノヲ)の六代目がオオクニヌシ。スサノヲの最初の奥さんがクシナダヒメで、オオクニヌシの本妻がスサノヲの娘のスセリビメ。なんだか複雑な関係。

川沿いのお土産用の小物屋にも、浴衣姿のカップルやグループの姿があった。一緒にいる喜びをみんなで楽しむように、店の入り口からも笑いがこぼれてくる。軒に吊るされた風鈴の音に誘われて短い暖簾をくぐった。

褐色に日に焼けた男の人が、お土産用の勾玉(まがたま)を熱心に見ていた。肩までたくし上げた浴衣から不釣り合いな白い腕が覗いている。お蕎麦屋で見た幹事さんだ。招かざる偶然にイラっとしつつもお礼を言い損ねたこともあり、男の人とは反対側のレジュの方から入った。会計に向かう男の人が先に気付いた。

「あぁ、どうも。またお会いしましたね」

手にした籠に十個ぐらいの色違いの勾玉が入っている。

「土産ですか」

「はい、教え子たちへのお土産ですわ」

お店の人から勾玉の数だけ小さな紙袋を受け取って会計をすます間、入り口の小物を眺めていた。会社のお土産は島根のお菓子で、上司にはお酒と決めている。誰かのために何かを買う予定はない。自分のためには贅沢な宿と食事と決めている。それでも珍しい物ならと手に取った。

「じゃお、ここで失礼します。楽しいご旅行を」

店を出る男の人に続いて出ると、その気配に振り向いた。なに、と間抜けな顔をしている。

「お蕎麦屋さんで言いそびれたのですが、ありがとうございました」

首筋をタオルで拭きながら「何でしたっけ」と傾げた。

文庫本を拾って頂いたことだと告げると、「川端康成の『雪国』ですね。お若いのになかなか趣味が良い」と川沿いにゆっくり進んだ。続くように歩く。

「カバーしてあったのに、よく分かりましたね」

男の人は頷くような笑みをして、幾分明るいトーンで言った。それは猜疑心や懐疑心をなだめ、安心させる気遣いだろう。

「小説が好きでした、川端康成の作品は何度も読みましたよ。試験にも出ましたからね。だからでしょうか、どのページを見ても分かります。それにね、」というと頷いた。「ページの上に柱といいますが、本のタイトルが書いてあります。お気づきですか」

水の流れる音がした。

「開いていたページ、汚れてはいませんでしたか」

お店で見た先輩を気遣うのと同じだ。わざわざ開いたと思う疑惑を間接的にとりのぞくための質問をする。相手がこうしてほしい、こうなりたいと具体的な希望や要望があるのでない。もやもやした不安や訳の分からぬ苛立ちがあると感じたとき、真の解決ではないが服に付いたゴミを「失礼」と取り除く優しさに似た振舞をする。そんなひとなのだ。

「こちらにお泊りなのですね」

「そこの、旅館です。風呂と酒さえあれば、僕らは十分ですから」

「それに、コンパニオンさんでしょう」

「聞かれちゃいましたか」

お店のビニール袋に手を入れて「年に一度の慰労会です」と小声で言った。

「会社のみなさんですか」

彼は話題を替えるように、どこにお泊りですかと尋ねた。

名前を告げると、「玉造一の老舗旅館ですね。お風呂も庭も、もちろん食事も接客も最高級です。旅のいい思い出になります」

お土産袋から取り出した勾玉を小さな袋に入れ、「どうぞ、玉造の思い出に」とさしだされた。自然な仕草に受け取った。

「ありがとう。でも、私にはお返しする物がないわ」。

「大丈夫です」と手を振った。視線は川の向こうの角にある小さな小料理を向いていた。

「あそこの店、お薦めなんです。九時頃から一人で飲んでます。よろしければ三十分でも、いや、十分でも付き合っていただけますか。美味しい店です」

唐突なお誘いだが、それがかえって自然だ。

「疲れてなければ」

温泉旅館に泊まるのに、美味しい店だと誘われた。コンパニオンを呼んだ宴会を同僚の皆さんと開くというのに、それを抜け出して一人飲むというのも不思議なことだ。それに「十分でも」が可笑しかった。新手のナンパというより、訳ありの誘いの匂いがする。数年前から合コンに誘われることがない。控えめにいても、積極的であっても、なにかと話題になりそで断っている。既婚の元同僚から、いい人よと紹介されたこともある。ときめきのない会話が億劫になり避けるようになった。

「もちろん。無理はしないでください」

歩き出した彼は振り向いた。

「島根のご旅行をお楽しみください」と一礼した。

「ありがとうございます」

まるで道を尋ねでもしたような自然な挨拶だった。

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